国産2nmチップが病院に入る日:LSTCなど5者が始めた医療AIの実証計画
日本の最先端半導体が、ついに「患者のそば」で動く時代が近づいています。2026年10月20日、最先端半導体技術センター(LSTC)など5者が、推論に特化した2nm世代半導体を使った医用画像処理システムの研究開発をNEDO事業として開始すると発表しました。狙いは、病院の機器の中でそのまま動く医療AIです。目標は野心的で、現行のGPUと比べて画像処理速度で5倍以上、エネルギー効率で10倍以上という数字が掲げられています。
ただし、これは研究開発の目標値であって、実証された性能ではありません。注目すべきは数字そのものよりも、半導体の研究開発と医療現場の実証を同じテーブルに載せた、このプロジェクトの組み立て方です。
5者がそろった意味
今回のプロジェクトは、LSTC、北海道大学、富士フイルム、GEヘルスケア・ジャパン、そしてベルギーの研究機関imecという5者による共同研究です。NEDOの「ポスト5G情報通信システム基盤強化研究開発事業」に採択されました。正式名称は「推論に特化した2nm世代半導体を活用する高速・低消費電力な医用画像処理システムの研究開発」です。
顔ぶれを見ると、このプロジェクトの狙いが透けて見えます。半導体を設計する側(LSTC、imec)、医療画像AIを設計し評価する側(北海道大学)、そして実際に医療機器を作って病院に届ける側(富士フイルム、GEヘルスケア・ジャパン)。半導体の性能だけを磨くのではなく、それが医療現場でどう使われるかまでを一つの事業として設計しているわけです。
LSTCの東哲郎理事長は説明会で、最先端半導体と、それを活用するアプリケーションを同時に開発する必要があると説明しました。LSTCが半導体、AI、医療機器、医療現場をつなぐ役割を担う、という位置づけです。理事長の東氏は、Rapidusの会長も務めています。RapidusはLSTCの組合員でもあり、2nmチップの製造先として有力視されていますが、報道によると正式決定はしていません。
なぜ医療現場は「2nm」を必要としているのか
CTやMRI、超音波診断装置、手術顕微鏡といった医療機器は、ここ数年で急速に高性能化しています。そのぶん、生成される画像データは高解像度化し、大容量化しています。一方で、その画像を処理するGPUは消費電力が大きく、データは患者の個人情報を含むため院外のクラウドに送りにくいという事情があります。通信帯域や遅延の問題もあり、リアルタイム処理が間に合わない場面が出てきているのです。
ここで大事なポイントがあります。医療現場のAI処理は、学習済みのモデルを使って推論するのが中心です。AIの大規模学習に必要な汎用GPUの機能をすべて必要とするわけではありません。300~700Wも消費する高性能GPUをそのまま医療機器に組み込むのは、発熱やサイズの面でも現実的ではない、というわけです。
そこでこのプロジェクトは、推論処理に特化した専用半導体に置き換え、病院内や医療機器内という「エッジ環境」で高速かつ低消費電力なAI処理を実現することを目指します。北海道大学の工藤與亮教授(研究開発副統括責任者)によると、システム全体の消費電力は現行GPUの半分程度に抑えることを想定しているといいます。
3つのAIシステムが狙う現場
プロジェクトでは、医療現場で使う3種類のAIシステムを開発します。
1つ目は、CT画像のリアルタイム診断支援です。次世代CTとして注目されるフォトンカウンティングCTは、従来よりはるかに大量の画像データを生成します。そこから画像を再構成し、臓器を自動的に識別するAIを高速に動かすことを目指します。富士フイルムが、このCT画像の高速再構成AIと臓器セグメンテーションAIの開発を担当します。
2つ目は、超音波画像を使ったリアルタイム診療支援です。超音波検査では、検査中に得られる画像をその場で確認します。この研究では、超音波画像にCTやMRIの画像を重ね合わせることで、医師の診療を支援するシステムを開発します。
3つ目は、手術中のリアルタイム支援です。手術顕微鏡から得られる映像をAIで解析し、手術器具や解剖学的構造、出血などをリアルタイムに認識する技術を目指します。手術中の画像認識では、演算性能が高くても処理の遅延が大きければリアルタイム支援には使えない、という厳しい条件があります。
北海道大学病院もこのプロジェクトに関わり、実際の医療現場での有用性を検証する計画です。
二段階の開発方式が現実的な理由
いきなり2nmチップで開発を始めるわけではありません。このプロジェクトは二段階の開発方式を採用しています。まずIBMの「Spyre Accelerator」を使ってAI処理の開発と最適化を進め、その後、2nm世代の推論特化AIチップへ移行する、という流れです。
この方式なら、専用半導体の完成を待たずに、AIモデルや処理アルゴリズムの開発を先に進められます。ただし注意点もあります。Spyre上で得られた性能が、そのまま2nmチップでも実現するとは限りません。メモリ構成やデータ転送能力、消費電力、ソフトウェア環境などを含めた最適化が、実際の専用半導体では必要になります。
報道によると、事業期間は2026年9月から2031年9月までで、2029年3月のステージゲート審査まではSpyreを使った開発が中心になるとのことです。2nmチップによる実機検証は2029年度以降になる見通しです。予算はステージゲートまでが62億円、総額105億円規模のNEDO委託事業と報じられています。
このプロジェクトが日本の半導体戦略にとって持つ意味
このプロジェクトを、単なる医療AIの研究として見るのはもったいない、と筆者は思います。もう一つの側面は、日本国内で生産される最先端半導体の「用途の創出」です。
Rapidusが2027年度後半の量産開始を目指していることは広く知られています。ただ、工場が稼働しても、チップを買って流してくれる顧客がいなければ事業は成り立ちません。今回のプロジェクトは、量産の先にある「誰が、どこで、どう使うのか」を示す一つの答えになりえます。
とはいえ、現時点で過度な期待は禁物です。今回の発表で、専用AIチップの製造がRapidusに正式に発注されたわけでも、製造プロセスや量産時期が決まったわけでもありません。2nmの専用チップは製造コストが高く、医療専用ASICだけでは採算が厳しいという指摘もあります。IBMがサーバーや産業用途にも展開すれば市場規模は広がりますが、それはこれからの話です。
それでも、半導体の研究開発と医療機器の実装、臨床現場の検証を一つの事業として回す枠組みができたこと自体に価値があります。性能の数字が独り歩きしがちな分野ですが、今回の発表は目標を「目標」と明示し、段階的な検証計画を示した点でも誠実です。2031年に向けて、北海道の病院で2nmチップが動く日が来るのか。注目していきたいプロジェクトです。
Frequently Asked Questions
LSTCとRapidusの関係は?
LSTCは最先端半導体の研究開発を担う技術研究組合で、Rapidusはその組合員の一社です。2nmチップの製造先としてRapidusが有力視されていますが、報道によると今回の発表時点で正式決定はしていません。imecはRapidusの技術パートナーでもあり、今回の事業ではAIモデルの変換や量子化、最適化を担当します。
なぜ最初から2nmチップを使わないのですか?
専用半導体の完成を待たずにAIモデルやアルゴリズムの開発を進めるため、まずIBMのSpyre Acceleratorで開発と最適化を行い、その後2nm世代の推論特化チップへ移行する二段階方式を採用しています。2nmチップによる実機検証は2029年度以降になる見通しと報じられています。
5倍・10倍という数字は確定した性能ですか?
いいえ、あくまで研究開発の目標値です。現行の医療機器に搭載されているような市販GPUと比べて、画像処理速度を5倍以上、エネルギー効率を10倍以上に高めることを目指すと発表されています。実証はこれからの段階です。消費電力については、システム全体で現行GPUの半分程度に抑えることが想定されています。



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