日本が320億円を投じる「ARiSE」とは?AIが仮説を立て、実験まで回す科学の未来
「実験を回すのは、もう人間だけの仕事ではない」。そんな時代が近づいている。科学技術振興機構(JST)は10月13日、AIが科学研究のプロセス全体を担う国家プロジェクト「ARiSE(AI to Redesign Scientific Exploration)」の説明会を開き、本格始動を宣言した。基金総額は320億円、研究期間は2026年10月から2029年3月末までの約2年半。仮説の生成から実験計画、シミュレーション、実験の実行、結果の解析、そして次の仮説の構築まで。AIを研究の「道具」ではなく「研究プロセスそのもの」へ組み込む、日本の野心的な挑戦が始まった。
320億円の使い道:31の採択プロジェクト
ARiSEは、文部科学省が2026年3月に策定した「AI for Scienceの推進に向けた基本的な戦略方針」に基づくフラッグシップ事業だ。5月12日から6月30日まで研究開発提案を募集し、9月29日に採択課題が決定された。
事業は2つの枠組みで構成される。国が集中的に強化する分野を定めた「戦略ターゲット型」は70件の応募から12件が採択、分野を限定せず独創的な研究を対象とする「国際・融合型」は133件の応募から19件が採択された。資金配分も特徴的で、戦略ターゲット型は課題当たり総額10億円から30億円程度の大型投資、国際・融合型は原則1件当たり総額2億円(必要なら最大6億5000万円)だ。
事業統括(PD)には東北大学の青木孝文氏、戦略ターゲット型の推進統括(PO)には国立情報学研究所(NII)の黒橋禎夫氏、国際・融合型のPOには理化学研究所の上田修功氏が就任した。AI研究者と対象分野の研究者が共同代表者として参加することが必須条件とされ、両分野の研究者が互いの領域へ踏み込む「越境」が仕組みとして組み込まれている。
「使う」から「作り直す」へ:Theory-driven AIという賭け
ARiSEの戦略の核心は「Theory-driven AI for Science」という考え方だ。現在の主流であるデータ駆動型AIは大量のデータから規則性を学ぶが、深層学習モデルはブラックボックスになりやすく、出力が科学的に正しいことを保証しない。Theory-driven AIは、対称性、不変性、因果構造、境界条件、スケーリング則といった、科学者が現象の理解に使ってきた知識を、単なる制約条件として与えるのではなく、AIモデルの構造や表現空間、学習原理そのものへ組み込むことを目指す。データと理論を同時に学ぶことで、少量のデータでの推定、未知条件への汎化、科学的な説明可能性の向上を狙う。
日本がこの路線を選んだ背景には厳しい現実認識がある。日本はAI関連論文数の量的競争では主要国に後れを取っている。投資額だけで米国や中国と競うのは難しい。だからこそ、量の競争ではなく、日本が蓄積してきた科学・工学の理論や知識をAIへ融合する「質の競争」へ転換する。それがARiSEの賭けだ。代表例の1つが「数理物理統合AIの創成」で、AIが科学的仮説を生成するだけでなく、数理物理に基づいて仮説の正しさを自律的に検証する技術の開発を目指すという。
材料、生命、無人研究施設:3つの戦略ターゲット
2026年度の戦略ターゲット型の採択対象は、マテリアル、ライフサイエンス、大型研究施設・研究装置の3分野だ。
マテリアルの中核は「AI for Materialsを実現するマテリアルAI基盤の構築」である。物質・材料研究機構(NIMS)を中心に蓄積されてきた世界最高水準の材料データと、国内の大規模言語モデルやAI研究者の技術を組み合わせ、国家的なマテリアルAI基盤を構築する。AIが材料候補を提案するだけでなく、実験装置を操作し、得られたデータから新たな設計や実験条件を導き出す研究サイクルの構築を目指す。
ライフサイエンス分野では「ゲノム言語モデル(gLM)による次世代生命科学研究基盤の創出」が進められる。既存の70億パラメータ級モデルを基に、植物、動物、ヒト、微生物など全生物ドメインを対象とする40億パラメータ級の基盤モデルを構築する計画だ。設計した配列や仮説を実験で検証し、その成否を再び学習データへ戻す「DBTL」の循環を形成する。成功例だけでなく失敗例や遺伝資源も学習へ還元する点が特徴で、モデルは共同利用基盤として生命科学研究者へ提供される。
大型研究施設・研究装置分野では「Science by AIのための無人研究施設の開発」が進められる。実験要求を入力すると、AIが研究目的の設定、仮説生成、実験計画、結果解析、次の実験決定までを自律的に進める情報基盤に加え、試料の搬送や補給、復旧までを自動化する物理基盤も開発される。1台の実験ロボットではなく、研究施設全体をAIとロボットで運用する「Human-OVER-the-Loop」型の無人研究施設を目指すという。黒橋氏によると、かつて2050年ごろの実現を想定していた構想が、AIとロボット技術の進化によって2030年ごろへと前倒しされつつあるという。
課題は計算資源と研究セキュリティ
ARiSEの実行で大きな課題となるのが、AIモデルの学習と推論に必要な計算資源だ。JSTの橋本和仁理事長は、国内の大学や研究所の研究費が海外のAI事業者へ流れ続けることへの懸念を示し、国内にある計算資源を計画的に利用することがARiSEの重要な狙いの1つだと説明する。理化学研究所のAI向けスーパーコンピュータ「理究」をはじめ、大学、公的研究機関、民間企業の計算資源を組み合わせていく予定だ。
研究データについては、オープンサイエンスを推進する一方、日本の競争力や国益に関わるデータを保護する「オープン・アンド・クローズ戦略」を採る。特定研究開発プログラムとして、選考時から評価者と被評価者の双方にセキュリティ対応を求める点も、近年の研究セキュリティ重視の流れを反映している。
「分からないから何もしないという選択肢はない」
説明会で橋本理事長は、AIの技術進化が速く、現時点で将来の姿を正確に見通すことは困難だとしたうえで、「分からないから何もしないという選択肢はない」とARiSEを始動した背景を説明した。技術の進化が速いため、採択時の研究計画を固定的に実行するだけでは、研究終了時に技術が陳腐化する可能性もある。そこでPOが研究の進捗を確認しながら、研究項目の拡張や国際連携パートナーの追加などを機動的に支援し、常に最新の取り組みにアップデートしていくことも狙うという。
ARiSEが目指すのは、海外のAIを日本の研究者が使えるようにすることだけではない。むしろ日本が蓄積してきた材料データ、ゲノムデータ、科学理論、実験技術、ロボット技術などをAIと組み合わせることで、科学研究の方法自体を作り直すことだ。AI研究者と専門領域を持つ科学者たちが互いの領域へ越境し、AIが科学を進歩させ、科学から得た理論がAIを進歩させる。この共進化を実現できるかどうかが、日本のAI for Scienceにおける次の一手となる。
Frequently Asked Questions
ARiSEとは何ですか?
ARiSE(AI to Redesign Scientific Exploration)は、JSTが推進するAI for Scienceの国家プロジェクトです。2026年10月から2029年3月末までの約2年半、基金総額320億円で31の研究プロジェクトを支援します。仮説の生成から実験計画、シミュレーション、実験の実行、結果の解析、次の仮説の構築まで、研究プロセス全体へAIを組み込むことを目指しています。
320億円は具体的に何に使われるのですか?
戦略ターゲット型(12件採択)では課題当たり総額10億円から30億円程度、国際・融合型(19件採択)では原則1件当たり総額2億円(最大6億5000万円)が上限です。材料AI基盤、ゲノム言語モデル、無人研究施設などの開発に加え、AIモデルの学習や推論に必要な計算資源の利用も計画的に組み込まれます。
ARiSEは日本の研究者にどう影響しますか?
開発された基盤モデル、AIエージェント、評価方法などは、採択チームだけでなく日本の研究者全体へ広げることが重視されています。NIIが運営する学術情報ネットワーク「SINET」や研究データ基盤「NII RDC」とも連携し、ARiSEで作られたモデルやデータ、ツールを利用できる環境の構築を目指すということです。



Post Comment